「起業なんて、一部の優秀な人がすること」
「ひとり親で時間にも経済的にも余裕のない自分には、起業なんて無理」
起業に対し、そんなイメージを抱いているひとり親の方は、多いのではないでしょうか。
実はひとり親と起業は、意外と相性がいいことも。
ひとり親の起業をサポートする「全国シングルマザー起業支援プログラム」を通じて、起業のメリットや、どのような人に向いているのかなどを取材しました。また、ひと足先にプログラムを受講し、実際に起業した先輩シングルマザーの方たちにも、よかったこと、大変だったことを聞きました。
全国シングルマザー起業支援プログラムには、多くの人が集まった
2025年6月、東京都渋谷区のビルの一室で、シングルマザー向けの起業支援「第二期シングルマザー起業支援プログラム」が開かれ、140人のシングルマザーが参加しました。
「『頭が良くないと起業できない』と考えている人は多いと思いますが、それはバイアス(先入観)です」
「スキルよりも、考えることが大事です」
主催者のひとつ、「デジサーチアンドアドバタイジング」(デジサーチ社)の黒越誠治代表取締役が呼びかけると、参加者は大きくうなずきながら、メモを取っていました。
このプログラムは、一般社団法人の「日本シングルマザー支援協会」、「社会変革推進財団」と、デジサーチ社が協働で支援しています。3日間のワークショップを通して起業のノウハウを学んでもらい、参加者から選抜された最大5人に事業資金として1000万円の支援をするというプロジェクトです。今回は第一期の倍の約300人から申し込みがあり、日程の都合がつくなどした人たちが参加しました。
「共通感覚・ 言語化能力」を磨くためのセッション。参加者の名前など個人情報部分を加工しています
ワークショップでは、自分がイメージする商品のディテールをAIに入力してデザインをつくったり、特定の背景を持つ人物の外見や持ち物を想像して人物像を設定したりする課題が出されました。どれも起業家にとって大切な「共通感覚」や「言語化能力」を育てるための作業だといいます。一心不乱にペンを動かしたり、じっと考え込んだり……参加者たちは皆、真剣な表情で課題に取り組んでいました。
自分でビジネスアイデアを考える時間もありました。集客力や販売力、商品開発力などを測るのが目的です。「妄想でポイ活(ポイント活動)」、「ワクワク防災で経済を回す」……参加者の手元の紙には、さまざまなビジネスアイデアが次々と書き連ねられていきました。
プログラムはお昼休憩を挟んで、午後も続きます。午前のワークショップを終えた参加者の女性(46)は「めちゃくちゃ楽しかったです」と目を輝かせました。小学生のこどもがいるという女性(49)は、「こどもとの時間を大切にしながら仕事も頑張りたいので起業を考えています。プログラムは実践的で勉強になりますね」と笑顔で話しました。
ワークショップを終えて笑顔を見せる女性
ワークショップの様子を見守っていた日本シングルマザー支援協会の江成道子さんは、「ひとり親にはどんな支援を受けられるかの情報が届くことが多いけれど、それだけでなくチャンスも届けられるべき」と話します。
自分の裁量で働けるので時間の融通がきく、こどもとの時間が取りやすい、在宅勤務も選べる……シングルマザーの就労支援をしている江成さんは、ひとり親こそ起業に向いているケースが多いと話します。「起業へのポテンシャルを持っている人はとても多い。ぜひ、チャレンジしてほしいです」
ひとり親の起業をめぐってはこのプログラムの他にも、厚生労働省や日本政策金融公庫などを通じた支援制度もあります。公の機関に相談して、確かなものを選ぶことが大切です。
AIを使って商品デザインをする参加者
小川雅子さん(56)と石井未津子さん(46)は、シングルマザー起業支援プログラムの第一期で選抜された、「ひとり親起業家」の先輩です。起業する前とした後で生活はどう変わったのか、大変だったこと、良かったこと……これまでを振り返り、語ってもらいました。
石井未津子さん(左)と小川雅子さん
――お二人は2019年にプログラムを受け、起業されました。なぜプログラムを受けてみようと思ったのですか。
小川
私は30代の頃に離婚し、息子と2人暮らし、アルバイトで酒販店に勤めていました。息子は大学生で就職も決まっていたので子育ての手は離れていたのですが、将来親の介護をすることなどを考えると、やはりお金の心配がありました。たまたま募集要項を見てやってみようと思ったのですが、そのときはまさか自分が起業するなどとは思っておらず、ちょっとチャレンジして受けてみよう、くらいの気持ちでした。
石井
私も離婚したのは30代のときです。受講当時は娘が小2でした。放課後の娘の居場所の必要性を感じていて、ママ友と「民間の託児とか、やってみたいよね」なんて話していたのですが、一人が募集要項を見つけてきて、「みっちゃん、1000万取ってきてよ」なんて言うんです。ちょうどそのころ派遣社員として働いていて、ずっと同じ所で雇ってもらえるわけではないという不安感がありました。さらに、生活のために夜も飲食店で未明まで働くというダブルワークの状態だったので、その状況を脱したいという思いがありました。
――実際にプログラムを受けられて、選抜されて、どのようなお気持ちでしたか。
小川
アルバイトの仕事でパソコン関係の業務もやっていたので、勉強になるというか、楽しく受講していたのですが、まさか自分が選ばれるとは思っていなくて、怖くなってしまって。選抜のとき、泣きながら「無理です」と言ってしまいました(笑)。でもやっぱりお金の心配があって受けたのだからという気持ちや、皆さんに選んでいただいたのだからという思いもあって、やってみようと。
石井
小川さんはいつも自信がないと言うけれど、すごくコツコツと作業を積み重ねられる人なんです。そこが評価されたと思います。ご本人は「自信がない」と言いますが。私は対照的で「絶対に私が取ってやる」と思っていました。それまでも「起業に向いてるよ」と言われたことはあったのですが、特にこれがやりたいということもなく、「ライフワークとライスワーク」と自分では呼んでいるのですが、生活のため、食べるためという感覚でそれまで仕事をしてきました。でも、プログラムを受けてみて、とにかく学びが多くて楽しくて、この先もずっとこういうことをしたいと思うようになり、起業が現実味を帯びてきました。自分自身はメンタルの強さを評価してもらえたかなと思っています。
石井
研修も、これまでしたことがない内容の仕事だったので、課題で作ったものを突き返されることもありました。ハートが折れそうになりましたが……
小川
食らいついたよね(笑)心が折れそうなところのギリギリで折れない。そこが石井さんのすごいところです。
――そこから起業に移るわけですが、どんなところが大変でしたか。また、どのような部分に注力しましたか。
小川
合格後に研修を受けてから起業したのですが、実際に売り上げが出るまで1年近くかかったのは苦しかったです。先が見えない感じがしました。ネットに上げる記事を書いて商品が売れるように促すという仕事だったのですが、収益が出るまでは不安でした。
石井
起業当時はちょうどコロナ禍で在宅勤務だったため、私にとっては娘といられる時間が増えてとてもよかったです。大変だったのはネットの検索エンジンの表示方法が変わったのか、自分が書いた記事が検索結果の上位に全く出なくなってしまったことです。
小川
それまで何千万円と商品売り上げに貢献していたのが、パタリと結果が出なくなり、とてもショックでしたし、焦りました。
石井
でもそういうときも、やっぱり雇われている身と違うのは手を動かし続けなければならない、前に進み続けなければならないということですね。雇われている身なら「ちょっと休もう」と思えるのですが。
――自分でやっているという責任と重圧があったのですね。逆に、楽しかったこと、良かったことは。
小川
やはりコツコツと毎日積み上げてきたことが、収益というかたちになったことですね。頑張ってきてよかった、やってよかったと思いました。私は自分を、いろいろなことを「自信がない」とチャレンジせず投げ出してきた人生だと感じていたのですが、努力することの大切さを感じました。自分の作った記事で、いまも一日何万人もの人が読んでくれているものがあるのですが、誰かの役に立っているというのは喜びですね。
石井
起業することはずっと学び続けなければいけないことでもあるのですが、そのおかげでさまざまなスキルが身について、できることの量が明らかに増えました。たとえば画像や動画の編集ができるようになったり、サイトが作れるようになったり。PTAやボランティアで、ちょっとしたホームページを作ってあげられるようにもなりました。
小川
研修中も、起業してからもつらいことはありましたが、選抜された同期3人で、支え合いました。何度も辞めようと思いましたが、励まし合って乗り越えました。
――プライベートやお子さんとの関係で変化はありましたか。
小川 起業して、在宅で仕事ができるようになり、親の介護をしやすくなったことは本当によかったです。以前の仕事では難しかった。収入も2倍になり、当初抱いていたお金への心配も、無くなりました。自分にお金をかけることもできるようになりました。 そんな姿を見て、息子にも「誇りに思う」と言ってもらえて……。
石井
私はお金の心配があったので、起業前は「再婚するなら収入の高い人」という条件を持っていました。でも、自分で稼げるようになって、周りを見回したら、決して収入は高くない「夢追い人」だけど、ずっと仲のいい親友がそばにいてくれて。起業して生活も安定したいま、お金のことを気にせずに彼と結婚することができました。彼も義母も、娘ととても仲が良く、幸せです。
頑張ったら頑張った分だけ収入を増やせること、努力が結果に結びつくことが起業のメリットだと思います。
――起業する前に身につけておいたほうがいいスキルや資格はありますか。
石井
スキルや資格は、起業後にでも身につきます。新しい技術もどんどん出てきますし、走りながらでも大丈夫です。たとえば、AIは私たちが起業したころにはほとんどなかったですから。
小川
身を助ける、給与を上げるための自分への投資と思って何か資格を身につけることは起業しなくとも大切なことだと思います。ですが起業のためにこれを必ず取得しなければならないというようなものは、特にないと思います。
――将来の夢やビジョンはありますか。
石井
私は若い頃演劇をやっていて、いまは娘がやっているので、演劇を頑張っている若い人を雇って、手に職をつけて食べていけるようになるようにしてあげたいです。夢を追っている人たちの助けになりたいですね。
小川
いまは一人でやっていますが、これから少しずつ会社を大きくして仲間を増やしていきたいです。ひとり親の人たちのモデルケースになれたらいいなと思っています。
――起業に興味があるひとり親、起業したいけれど一歩を踏み出せないひとり親の方に、メッセージをお願いします。
小川
起業はもちろん大変さはあります。雇われていたほうが楽だなと思うことも正直あります。でも、1度きりの人生、チャレンジしてもらいたいなと私は思います。私はチャレンジすることで、いろいろな能力を引き出してもらえました。私の息子のように、そんな姿を、こどもは見ていると思います。
石井
起業には自分一人で闘っていくしんどさはあります。起業するかどうかは、いまのご自身の状況と照らし合わせて考えてほしいです。もしいま、人生に行き詰まりや息苦しさを感じているのなら、起業は自分が変われるチャンスかもしれません。支えてくれる人や制度はありますから。
小川雅子(おがわ・まさこ)さん
1969年生まれ。株式会社SIBワークス社長。ECサイト直下のネット記事作成、商品の販促などを業務としている。
石井未津子(いしい・みつこ)さん
1979年生まれ。株式会社SIBプレス社長。ネット記事作成などを経て、いまは皮革ブランドの商品開発、加工などを行っている。